2020-05-19 第201回国会 参議院 国土交通委員会 第13号
日本でも当時、高橋是清大蔵大臣により、同様の趣旨で公共事業を進める時局匡救事業というのが提唱されまして、治水事業、道路事業、港湾事業、鉄道建設、農業用水路の整備、こういったものが実施され、景気回復につながったというふうに聞いております。
日本でも当時、高橋是清大蔵大臣により、同様の趣旨で公共事業を進める時局匡救事業というのが提唱されまして、治水事業、道路事業、港湾事業、鉄道建設、農業用水路の整備、こういったものが実施され、景気回復につながったというふうに聞いております。
大恐慌を例に挙げられましたが、あのときには需要をつくるという政策を展開をしたのだろうと思いますし、あの大恐慌のときには、日本は、いわゆる、高橋是清大蔵大臣が大胆な金融財政政策をとり、いち早くその不況から脱出をしていくのでございますが、今回は、まず、このコロナウイルスの感染拡大を収束させなければ回復の道筋が見えてこないという状況にありますから、より一層厳しい状況。
我が国においても、当時、深刻なデフレ不況に陥ったのでありますが、当時の政府、先ほど名前を挙げました高橋是清大蔵大臣、ちなみに日本銀行の下関支店長も務めた人物でございますが、積極果敢な財政金融政策によって、まさに大胆な金融政策、大胆な財政政策を行い、いち早く不況からの脱却を達成したわけでありました。
黒田総裁、大変失礼な言い方をいたしますが、もし出口戦略がないのであったら、黒田総裁に、こうやってきちっと国債とかETFとか売り抜く、それこそ昔の高橋是清大蔵大臣みたいに、もっとも、こっちは麻生大蔵大臣になるのかもしれませんが、財務省と日銀と、しっかり経済企画担当大臣と連携をとって、そうしたことができるなら別ですけれども、もしそうしたことができないのであったら、大変失礼な言い方でありますが、先日、岩田副総裁
アベノミクスの財政政策が高橋是清大蔵大臣の財政をお手本にしているというのであれば、まさしく麻生財務大臣は平成の高橋是清というお立場にあるわけでございます。 その麻生大臣にお伺いしたいと思います。 我々与党は日本経済の好循環を持続発展させる責務があります。
当時の高橋是清大蔵大臣は、軍事費の縮小をやろうとして凶弾に倒れるということになりました。大蔵大臣の役割というのはなかなか本当に重責を担っているんだなと、歴史を振り返ってもわかるわけですけれども、やはり、防衛費を聖域にせずにメスを入れていく必要があるんじゃないかと思いますが、麻生大臣、どうでしょう。
歴史はやっぱり一九三一年末の、あれは犬養毅内閣のときの高橋是清大蔵大臣のときが多分、デフレ対策ということを正面切ってやって二年半でデフレからの脱却に成功し、ウォール・ストリート・ジャーナルに今次不況を世界最初に脱出、日本が最初に脱出に成功せりと書かせしめたほどの成功だったと思いますので、我々が学ぶ歴史は多分これだと思いますので、アベノミクスは基本的には高橋是清のあのデフレ対策というのを一つの範として
したがって、我々は政権を奪還するに当たっては、自民党の安倍執行部としては、これはどう考えてもデフレ不況からの脱却を優先順位の一番にしないと、政権奪還は単なる手段であって、目的はデフレ不況からの脱却、そして、日本を取り戻す、日本の活気を取り戻すというところが一番の主目的でしたので、私どもとしては、それをやった経験というのは、戦前、一九三一年十二月から、あれは犬養毅内閣のときにスタートしました高橋是清大蔵大臣率
多分、デフレを最近でやったのは、一番直近では、一九三〇年の高橋是清大蔵大臣、多分あのころは犬養毅内閣、斎藤実内閣のころだと存じますが、そのころにやった以外はないんです。
それは高橋是清大蔵大臣がかつてこの日本でやったことなので、ぜひ歴史に学びましょうということを訴えたいと思います。 以上です。
昭和恐慌の際、高橋是清大蔵大臣は、深刻なデフレから穏やかなインフレへと状況を一変させました。まず金本位制を停止し、続いて、日銀による大規模な国債引き受けを断行したわけです。
これをどうして切り抜けたかというと、当時、高橋是清大蔵大臣、二百円紙幣を増刷をしたんです。そして、銀行にお金を積んで国民の不安を払拭して、官民一体となってこの経済危機を乗り越えたと、財政危機を乗り越えたという歴史があるわけですから、歴史に学ぶというのがとても私は大事だと、そう思っています。 今年の大河ドラマは、NHK、「天地人」です。お米一粒作るのも天地人の三徳という言葉があります。
傍ら、その間ずうっと不況、不況、不況と言われた中にあって、少なくとも昭和七年、高橋是清大蔵大臣以来初めて日本というのはデフレ下の不況というのをやっておりますので、そういった意味では、経験者はゼロですから、極めて、不安という気持ちは極めて高い。したがって、可処分所得は減っておるという話ですけれども、同時に物価も下がっておりますので、そういった意味では形が随分変わってきているなとは思っております。
そういった内容を見たときに、今の状況というのは、多分、そうですね、高橋是清大蔵大臣以来初めてのいわゆるデフレ下の不況というのをやっているんですが、我々は過去七十数年間、インフレ下の不況は経験したことがあってもデフレ下の不況の経験がありませんから、結果として対応が非常にもたもたもたもたした形になったのが非常な混乱を招いた大きな背景だと思っております。
○中塚委員 関東大震災のときだけではなくて、田中義一内閣のとき、先ほども申し上げましたが高橋是清大蔵大臣、この人が、全国の銀行が二日間休業する間に三週間のモラトリアム、支払い猶予令を発したということも記録に残っておりますから、災害だけじゃなくて金融システムの不安、何が引き金になるかというのはいろいろあるというふうに思いますけれども、そういった事例もあるようです。
記憶によりますと、粛軍演説をやったり、高橋是清大蔵大臣が軍事費の予算を削るために凶弾に倒れたというようなことも聞いておりますし、したがって、今はそんなことはありませんけれども、しかし、我が国の税金というのは国民が出すお金でありますから、そこはやはりできるだけ私は短い方がいい。 一般の支援については、今いろいろやっていますよ。各国にやっていますね、ODAを通じたり。
時間も迫っておりますので、先ほどの副総裁のお示しになっている政策パッケージの話でありますが、副総裁は、まあ細かいことは申し上げませんが、井上準之助とか高橋是清大蔵大臣の時代の様々な政策パッケージをやれば日本は良くなるということを結論的には申しておられるわけですけれども、おっしゃっておられるわけですけれども、そうすると、そこまではっきり政策の方向性を示しておられれば、今後例えば国債の保有残高を増やすというようなこともひょっとしたら
三番目の教訓とは何かといいますと、日本の高橋是清大蔵大臣のもとで、国債標準価格制度というのを一九三二年七月に採用いたしました。これはどういう政策かといいますと、国債の消化を促進するために、つまり国債の価格を安定化するために、商法に特別規定を設けまして、時価でなくて簿価でもって評価する、つまり評価損というのを計上しなくてもいい、こういう特別の規定を置きました。
どっちかを入れかえ、井上大蔵大臣のやり方と高橋是清大蔵大臣のやり方をミックスしたようなやり方を。やはり人間の考えることは、火星へロケットが飛ぶ時代になっても大して違わないなと思ったんです。
そこで政変が起こり、高橋是清大蔵大臣のもとに再び金輸出が禁止される。つまり金本位制を離脱した。これによって円レートが三〇%ぐらい切り下がります。それによって期待が変わって、まず小売物価、そこを見ていただくと黒い丸に点々としたものが東京地区小売物価でありますが、それが上昇に転ずる。これは指数ですから、右上がりになるということが上昇に転ずる。
戦前、高橋是清大蔵大臣が国債の日銀引き受けをやってうまくいったかのようなお話がありますけれども、それに先立って、昭和七年七月には資本逃避防止法という形で、外国にお金が流れないようにしてブロック経済、まさにブロック経済の時代でありまして、それで、国内で金融緩和をしたので物価が上がったということであります。
そこで登場したのが高橋是清大蔵大臣であります。 この井上財政から高橋財政に切りかわる、このときに、何と財政の伸び率がここまで、対前年度比三九・六%、すさまじい膨張、拡張財政をすることによって、経済を一気に浮上させていくわけであります。そして、ずっと浮上しましたから、ここから伸びを抑えても経済はとうとう安定化に入る。